Column SORA

  

価値創造への資産とは…

  

  

未来のあたり前を創る

  

どのようなお店、企業、産業でも、規模や業態に関わらず、必ず『資産』というものがあります。このように話を切り出すと、「うちのような小さなところには資産と言えるものなんて…」と腰が引ける人もいますが…

 

『資産』とは、世間一般の人の多くがイメージするような、広大な敷地、充実した設備、潤沢な資金のようなことばかりではありません。

 

 

また、「ヒト・モノ・カネ」という事業の経営資源3原則を思いつく人であれば、「モノもカネもないが、うちは優秀なヒトがいる」という思い描くこともあるでしょう。

そう…確かに「人財」も資産形成の一つです。

  

ただし、今後ますます厳しくなる経済環境では、「どのように優秀であるべきなのか」という点が大切になってきます。その「あり方」の一つについて、考察してみました。

 

先に結論を述べると、『本気の実践力』という姿勢が今後いかに大切かというお話です。

『本気の実践力』が、ボクらが考える「未来のあたり前につながる価値を創る」上で、大きな『資産』になります。

これについて、いわゆる「精神論」ではなく、実務的に考えてみたいと思います。

  

今回は、さまざまな資産が潤沢な大手企業での例え話を敢えて使ってお話しします。

 

人財以外の資産を潤沢に有しているところでも、『本気の実践力』を発揮しない限り、これからの経済環境を見据えた時に、新たな価値創造は成し遂げにくいという話です。

 

また、このコラムの後半では、個人の『本気』についても触れてみます。

 


  

一つのなげかけ…

 

随分前になりますが、カジュアルな場で次のようなプレゼンテーションを10分間ほどしたことがあります。

笑いを誘うボケも入れながらの和やかな雰囲気で話したとは言え、暮らしを豊かにする一つのアイディアとして、「生花販売業界」の行く末をマジメに考察した上での一つの投げかけでした。

   

<提唱タイトル>

一輪挿しの生花が、一年中飾られている職場や家庭が1,000か所あるエリアの実現

 

 

この手の話は…大概の人は「そんなことをやってどうするの?」「仕掛けた会社にどのような見返りがあるの?」と首をかしげます。

 

または、「はいはい…よく耳にするCSR(企業の社会的責任)の打ち出し方の一つでしょ?」という軽く受け流されがちです。

 

ところが、この投げかけの本質は、単に生花業販売会社に向けての話に留まらず、どのような業態でも目を向けるべき『本気の実践力』や、顧客と共に価値を創る市場開拓の可能性について、取り組み姿勢としての「あり方」を問いかけています。

  

確かに、提唱タイトルだけを見ると、企業イメージの向上策としての「やり方」のアイディアの一つに過ぎないと受け取られがちです。

 

しかし、当時のそのプレゼン会場には、事業者や業界全体の姿勢として、「未来のあたり前につながる価値を創る」ための「あり方」の話であることに気づく洞察力の鋭い方もおられました。

「あり方」を真剣に考えて、しっかりと向き合うこと…これこそが、「価値創造につながる資産形成」とするための『本気の実践力』への一歩目になり得る本質的なことと気づかれています。

  

それでも、世間一般には、「あり方」よりも、どうしても性急な成果を求める「やり方」のほうが解かりやすい傾向が強いので、敢えて「やり方」から考えてみましょう…。

 


まずは「やり方」の仮説

  

まず、「どの家庭や職場でも一輪挿しの生花を楽しんでいる場所が1,000軒もある特定エリアを創る」という『目標』を本当に立てたとします。この実現に向けての具体策を軽くブレインストーミングしてみましょう。

 

 

<1>1,000軒の家庭や職場への配布方法や無料配布の条件

 

仮説1)

配布する生花は、基本的に売れ残り商材を中心に使います。

それを「各ご家庭…職場で、一輪挿しにご活用下さい。」と店頭軒先に置いて無料配布をします。

「ご自宅用と職場用で、お一人二輪まで」という条件をつけて、特に包装もする必要もないのかもしれません。

 

仮説2)

無料配布の軽い交換条件として、InstagramやFacebookなどのSNSで、一輪挿しで飾るたびに写真の記事アップしてもらうことを促します。

その際、ハッシュタグ( 発言内に「#○○」と入れて投稿すると、その記号つきの発言が検索画面などで一覧できるようになり、同じイベントの参加者や、同じ経験、同じ興味を持つ人のさまざまな意見が閲覧しやすくなる方法)で、プロジェクト名なども入れてもらうのもイイですね。

  

 

一輪挿しが、ご家庭や職場を優しく彩り、しかも、季節の移ろいを感じることを楽しんでいる様子が、SNSで自然と拡散される可能性は充分あります。

 

日本の生花購入は、お供え事やお祝い事での需要が大半です。

それに比べ、欧州の生花購入は、日常の暮らしに使われていることが大半です。

この取り組みによって、日本でも「暮らしの楽しみ方」「彩りから感じる豊かさ」へのマインドシフトのキカッケになる可能性もゼロではありません。

 

つまりは、「楽しみ方」の文化浸透です。

今目の前にいる「お花好き」な方だけではなく、季節を感じる一輪の花が、毎日の暮らしにあることが「あたり前」になる文化を一定のエリアで働きかけることを、粘り腰で続けます。

 

 

<2>1,000本の生花をどう調達するのか?

 

仮説1)

生花販売業にも必ず「在庫」というものがあり、店頭販売で売れ残る「生花」や、フラワーアレンジメントや花束制作の際に、使われずに廃材になる「生花」が出てくることも考えられます。

もし、多店舗展開しているのであれば、新しく仕入れた花を配送する際、その「廃材生花」を集めれば、なかなかの量になる可能性もあります。それを実現したいエリアに集積すれば、結構な数を集められるでしょう。

 

仮説2)

「在庫リスクを徹底して軽減した仕入れと店舗オペレーション体制を敷いているので、ほとんど生花が廃材になることはない」ということもあるかもしれません。

しかし、このプロジェクトを実現することを機会に、在庫の鮮度を上げることに踏み切るという手段もあり得るわけです。

例えば…まだ売り物としては使えるが、売れ残りを冷蔵保管しているケースが多いようであれば、顧客の手に渡る際は、どうしても鮮度が落ちている花も混在します。

そこで、商材の一部でも良いので、鮮度管理期間を一日早めて、プロジェクト実現に向けて活用する手もあり、それによって、各店で花を購入しているお客様にも「ココの花屋は、鮮度が良いものばかり」という信頼度アップになる相乗効果の可能性も出てきます。

 

 

もちろん、上記それぞれの仮説以外にも、いろんな手段はあるでしょうし、上記二つのやり方では、生花店経営の実務を知らない素人が考えそうな事として一蹴されることもあるでしょう。

 

しかし、とても大切なのは、なぜこういうプロジェクトが必要なのかという「目的」をハッキリ見据えることであり、その目的や「あり方」が必要だと思えば、実現するために本気で実践に移すための「やり方」をとことん考えることなのです。

 

目的がハッキリすれば、「できない言い訳」を並べるよりも、「どうすればできるのか」を建設的に考え抜くことこそが…『本気の実践力』につながります。

 

ここで、先に述べていたように、「目的」よりも「手段」を先に述べた理由を明確にしましょう。

加えて言うと、最初に掲げた「やり方」を実現させるのはのは、あくまでも「目標」であって、「目的」はもっと先にあります。

 


  

目的あってこその手段

  

「目的」や「あり方」を共有・共感した上で、「手段」や「やり方」の議論、課題の明確化や克服方法の議論をしていかないと、何かと迷走することが多くなります。

したがって、どのような事業姿勢にも、「目的」や「あり方」を明確にしたいところです。

マーケティング用語的には「ニーズよりもシーズを明確にする」と言っても良いかもしれません。まさにそれこそが、各事業者に求められる「価値創造力」なのですから…。

  

「未来のあたり前につながる価値を創る」…この目的を明確にしていかないと、一つひとつの仕掛けは「それに掛かる費用対効果は何?…いつ、どういう形で当社の利益に現れるの?」という目の前のことばかりを突き詰められていきます。

 

もちろん、「費用対効果」も大切なことです。

  

しかし、「マーケットに価値を創る」「マーケットと共に価値を創る」ということは、そうした収支バランスや損益計算書の感覚だけではなく、「資産形成」の概念が存在しないと、なかなか未来のあたり前につながる価値を創るための『本気の実践力』が成り立ちません

文化形成や資産形成には、時間を要するため、「続ける意義」を確認しないと、成り立たないからです。

 

ここで「目的」の明確化をする上で、踏まえておくべきマクロ的環境を整理しましょう。  

 


  

人口減の環境下で…

  

 

これまでは、過去100年間で3倍も増え続けた日本人口…つまり「成長基盤(マーケット規模拡大)」が確保されていた中での経済でした。

しかし、国土交通省のデータによると、2030年には、20代・30代の人口は、現時点より30%も減ります。2050年には、50%も減ります。

 

インテリア・住宅業界、お花業界のほか、銀行、保険、自動車業界など、ありとあらゆる分野において、これから日本が急激に迎える人口減少に伴うマーケット縮小の影響を、ダイレクトに受けることになります。

ボクらだけではなく、ボクらの先代も経験したことがない急激な「マーケット縮小」という環境…それでも、ボクら世代や、次世代の担う今の子供達は、新しい経済を成り立たせないといけません。

 

  


そういう状況を迎えるのは明白なのですが…

   

大手を中心に各企業が躍起になっているのは、「費用対効果」を意識した合理化・効率化による目先の利益追求…そういう印象が未だにとても強い状況です。いわゆる生き残り戦略に必死で、「他社との差別化」「オンリーワン企業としての競争力強化」によるマーケットシェアの獲り合いが主体となっているところは否めません。

   

ところが…このシェアの奪い合いの中で「勝ち組」になって一人勝ちしたつもりであっても、そのマーケット自体が、人口減によって一気に縮小するため、気が付けば「負け組」なっていることもあり得ます。

   

それならば、既存の顕在的なマーケットだけではなく、人口減の中でも、いかに裾野を広げるということ…いかに潜在的なマーケット開拓や「新しい価値」を創る施策に取り組まないといけないのかということをしっかりと受け止める必要があります。

そこに目を向けて『本気の実践力』を発揮することが、「未来のあたり前を創る資産」となるのです。

  


  

事業家の魂はどこへ…

 

ここでもう一度、「提言」していたことでの『本気の実践力』の話に戻しましょう。

 

先に述べた生花販売業界への提言例は、まさに「未来のあたり前を自分達で切り開くために、本気の実践力を発揮する覚悟はありますか?」という話でした。

  

繰り返しになりますが、生花販売業界の素人が、仮説として先に挙げた「手法・やり方」の優劣や可否が大切なのではありません。

日本の一般家庭が生花購入の大半がお供え事やお祝い事である中で、一般家庭の日常の暮らしにあたり前のように生花が彩られる文化を創る「目的・あり方」に、どれくらい本気で取り組む覚悟があるのでしょうか?ということです。

 

もちろん、今でも業界大手では、お花を使った啓蒙活動や、CSRイベントはされているでしょう。

しかし、一般家庭で、あたり前のように生花が日常の暮らしを彩るシーンは、ほとんど見受けられていない現状を見ると、残念ながら、組織も業界全体も今の取り組みでは、「未来のあたり前」をつくる文化形成には随分程遠いものと言わざるを得ません。

 

 

また、今回はたまたま生花業界を引き合いにしてお話ししていますが、どの業種業界でも本質的には求められる「あり方」は同じことです。

例えば、インテリアや住宅業界もその一つで…「インテリア好き」という現時点でのマーケットコア、つまりはとても限られた人しか反応していない現状が、全てを物語っています。

   

「日本人の暮らしに対する感性がとても乏しいから…。」

「やっぱり富裕層でないと客にならない…。」と言うのが関の山では、あまりにも残念です。

 

裾野を広げるための文化を創ることをせず、目の前の顧客以外を自分達から切り離してしまうのは、「できない言い訳」を公言してしまっているの変わりありません。

 

 

もちろん、実態としては、そうせずにはおられない背景もあるのもまた事実。

そこには、どうしても「費用対効果」という言葉がチラつきます。

 

資本政策中心の経済環境で叫ばれ続けていたコーポレートガバナンスからなのか…「会社は株主のもの」という概念を大きな後ろ盾に…性急な収益性の追求が経営陣の使命なので、目に見えるカタチや目の前に表れる成果を重視せざるを得ない…それが大きな背景になってしまっています。

  

そうなると、どうしても「スグに効果が生れないところに時間と労力も含めたコストを投入するな」という意思決定になります。

  

残念ながら…それだけでは、本来の事業家魂・イノベーターとしての気概感とは、少しかけ離れたものになりますね…。

物が乏しく、経済的に豊かではなかった時代の事業家や企業は、こうした「文化形成」「未来のあたり前」を創ることを、事業を通じで必死にやってきたはずなのに…とても皮肉な話です。

 

この時代に「未来のあたり前」を創ろうとしていた事業家の魂はどこへ…
この時代に「未来のあたり前」を創ろうとしていた事業家の魂はどこへ…

  


  

丁寧に暮らす価値

 

要するに、ボクらが訴えかけたい結論がココにあります。

  

次につながる良質な資産形成が、街にも企業にも家庭にもすごく大切。

その資産形成の礎となるものこそ「暮らしと丁寧に向き合う文化」であること。

そこに企業努力で創る「価値」の意味があるということ。

 

マクロ的に見ても、近未来の経済環境への対応力を慮っても、この「価値創造」への本気度を語らずして、これからの経済基盤は語れないと思うのです。

     

「こんな小さなことからでも、暮らしを楽しむことができる」

「こんなコンパクトなことからでも、一人ひとりの暮らしのオンリーワンを実現する方法がある」

 

このような文化形成を本気で取り組むこと…。

  

そのための一つの話題づくりや関心を寄せる事例として、日常の暮らしに成果が豊かさを彩る「文化形成」をするという「目的」を見据え…コンパクトに長く続ける一つの「あり方」を見据えた上で、「どの世帯にも一年中一輪挿しが飾られているエリアを創る」という「目標」を掲げた一つの「やり方」だったわけです。

 

「費用対効果としてプロモーション活動の一環」としているうちは、あくまでも「費用勘定」での意識ですから、時間と労力に対する「投資勘定」的な本気の実践力にならない限り、「資産形成」にはどこまでも結びつきにくい話になってしまいます。

  

 

ところで、ボク自身は、単独起業した後、一時期無収入に陥った時に、いろんな気づきがありました。

「自分が再生する上で、おカネがなくても投資する方法はいくらでもある」という開き直りもあるのですが…その当時、父親に「お前は愚直であり続けろ。しんどい時こそ笑顔や。」の背中を押してくれた言葉も支えになったことがあります。

 

そして…笑顔ながらも本質的な言葉もありました。

『今おまえがどん底だと思ったら…もっと掘れ!!』

コレは、養老孟司氏の言葉でも似たようなものがあったと思います。

 

とにかく、父からは「這い上がれ」「苦難を乗り越えろ」ではなく、もっと掘ってお前の『本気』を見せてみろ!という厳しくも温かいメッセージだったわけです。

もちろん、今も経済的には決して裕福ではありませんが、今では、仕事・暮らし・育みのどの場面においても共通する「自分軸」が定まったことにより、とても充実した日々を過ごしています。

    

そして、ボクの周りには、大手企業では絶対やらないこと、大手企業では絶対に見出せない着眼点から、「未来のあたり前」を創っている小商いの事業者さんたちがたくさんいます

だからこそ、彼らには共通する点は、常に『本気の実践力』を背中で語っている点です。

ボクと同じように、経済的に悠々自適というわけにはいかない人たちですが、ライフクオリティとでも言いましょうか…間違いなく充実した日々でキラッと輝いています。

 

結局、ここに同じ匂いを感じる人たちには…

 

「価値組」を目指すから…

「勝ち組」にはそれほど興味がない。

 

「顧客との共創」を目指すから…

「他社との競争」にはそれほど興味がない。

 

だから、彼らは「カッコよさ」には興味がないので、思い切った「潔さ」を感じるわけです。

その潔さが、次につながる価値共創として、無形資産も含めた彼らの資産形成になっているように思います。

  


  

個人の「本気」

  

さて、今まで語ったことは「法人(お店や企業)」の本気についてのことでした。

ここからは、「個人」の本気について触れておきたいと思います。

 

  • 威勢がイイとか、声が大きいとか、ノリが良いとかだけで…『本気』かどうかは怪しいことが多い。 
  • 人見知りだったり、奥手な感じで、静かな佇まいの中にも、『本気』を感じる人はたくさんいる。

  

また、それが…組織に属していようと、自分で事業していようと、起業しようとしていようと…どの場に身を置いていても、『本気』かどうかは自然と判りますね。

   

なぜなら…

  

取り組んでいる先にある「何」を大切にして、今あることとどのように向き合っているのか…どういうことを大切にしたくて、日々を丁寧に過ごしているのか…そういうことは、ひとときの取り繕った言葉や表情だけでなく、『日々の何気ない仕草や振る舞い』に全て出ているからです。

  


  

職場以外の教育現場でも…

 

一方で、『自分は本気』と口ばかりの人は、闘志が表に感じられないおとなしいタイプの人を責める傾向もあります。

 

実は、責められている側のほうがすごく『本気』であるにも関わらず、その場で造る独特の空気感に持ち込んで、おとなしい人を叱咤激励するパターン…実はコレは、ものすごい大きな間違いです。

    

取り組んでいる先にある大切なことを見失う…つまりは『取り組みの目的』を迷走したままの人が、その場の空気を制圧するのは、とても危険なことです。静かな佇まいの中に、しっかりとその目的を見定めて、着々と実践に移している『本気』の人ほど、そういう空虚なチカラは見透かしますし、反発もします。

  

そうすると…元々おとなしいタイプは、どんどん発言も減り…威勢がイイだけの人と同じ空気を吸っているだけでも嫌悪感の表情になります。威勢のイイ方は、ここぞとばかり「暗いヤツ」「やる気のないヤツ」という評価を公言し、依存して影響を受けてしまう周りの人達と一緒に空気を制圧してしまうんですね。 

  

 

こういう場面というのは…

 

組織内の会議、異業種プロジェクトのブレスト会議、地域コミュニティでのミーティングなどの場面だけではありません。 

 

家庭内の夫婦の会話、親の子供との向き合い方、学校での行事ごとの議事進行、部活動での子供への指導環境など…つまりは、オトナ社会の場面だけではなく、コドモの教育現場でも本質的には似たことが起こっていることも、我々は自戒の念として冷静にとらえる必要を感じます。

 

コドモの洞察力と先見性を軽視してはいけません。時によっては、ものすごいポテンシャルある子なのに、そうした追い込み方によって、心がささくれることだってあり得ます。

   

そもそも、見透かされる人ほど…口では『本気』とは言いながら、日々の何気ない仕草や振る舞いがすごく残念…つまりはメッキが剥がれている人だったりしますしね…。

しっかりと気を付けたいところです。

 


  

微妙に違う理念と正義

 

少し踏み込んで考察すると…

「理念」と、正義・正論・正解とは、微妙に違うように思います。

    

人それぞれが大切にする「理念」や「アイデンティティー」は、人生観・価値観など、その人が生れ持っているモノや育ってきた環境で大きく違ってあたり前なんです。

  

だから、ヒトが支え合って行く社会の中で、「理念の押し付け」はギクシャクするか、無理にやると恐怖政治や絶対権力の方向になってしまいます。その押し付けが『本気』になってしまっている理不尽な場面が、このご時世にどれくらい多くあることか…。

 

 

ボクは、自分では曲げられない信念や理念が徐々に定まってきてから、いろんなつながりになっていることに大変感謝しています。

 

ボク自身の「軸」がブレていた時期は、言い訳けがましい正義正論ばかりが先走り、実践力が疎かになってました。

なぜなら、取り組んでいる『先にある大切にすべきこと』を明確にせず、ただただ動いていただけだったからです。

 

「やり方」ばかりをその場で駆使して、「あり方」を軽視していた時期があるため、よく「軸」もブレていました。 

なりわい・暮らし・育み…どれに対しても「あり方」の一本軸ができるまでは、すべてがバラバラな行動だったんですね。

だから、一生懸命が充実感につながっていないので、凄く辛かったというのが正直な話です。メンタル的にも自転車操業でした。

 

 

そうした経緯もあり、今度は「あり方」について頑なになった瞬間「やり方」は、めちゃくちゃ柔軟になり、実践力が出てきました。

仮説・実践・検証のプロセスが、とてもスムーズになったからです。

 

 

要するに…

   

ボクの失敗の積み重ねでの経験では、正義正論は、先に述べるものではないということなんだと思います。

自分が実践してきた足跡や背中によって、周りから「この人にとっては正論なんやろ」ということを感じ取ってもらう程度でイイのではと思い始めています。

    

まずは実践してみた中で、たくさんの失敗をして、失敗を自分オリジナルの財産として足跡についてアウトプットすることで、迷走しながらでも辿り着く境地によって、自分の「軸」や「理念」みたいなものを徐々に明確にしていく…これが、とてもラクなことではないのに…実はとても楽しいことと気づいたのは、それほど前のことではありません。

ラクをせずに楽しむとはこういうことかと…。

  

これも、先に述べた父からの叱咤激励にある「どん底をもっと掘る」…これによって辿り着いた境地なのかもしれません。 

  

また…もう一つ大切なのは…「強がる」ということをする必要は全くないんですね。

弱みを素直に受け止めないまま、強がり続ける必要が全くないのです。   

等身大の身の丈で、自分の弱いところをしっかり受け止めることができるようになるからこそ、そこに負けたくないという「負けず嫌い」になれます。

この「負けず嫌い」は、「強がり」とは大きく違います。

 

だから、静かな佇まいの中に、しっかりとした闘志を持つ人は、仕草や振る舞いにそうしたところが表れているので、ボクはそこを見逃さないようになりました。

__________ 

    

ある会合で、いつもとてもおとなしいく目立っていない人に…『あなたは実はめちゃくちゃ本気ですよね…ボク…僭越ながら同じ匂いをずっと感じていました。』と声掛けしていたことがあります。

その声掛けが、とんでもなく嬉しかったとのことで、後日、手書きのお手紙を頂きました。

 

『河合さんのような方に、まさか自分みたいな者まで見ていて下さったこと…それが嬉しくてたまらず、筆をとりました。』 

     

ちょっと…ボクのことを過大評価な文面が続くのですが…それでも、プロジェクトごとに対するこの人の深い想いは、やはり本物でした。

しかも、お土産がてらに、すでに実践に移しておられる事例紹介も同封されていました。

  

 

以前ボクは、「あなたは普通です。特別でもなんでもない普通の人です。」と指摘されて、目が覚めたこともあります。

その指摘を受けた時は大きく凹んだものの、今では大きく感謝しています。

そうした経験もあるので、お手紙を受けて、次のようなメールで締めくくったところ、その画面を見て号泣されてしまったようです。

   

お互い感じる「あたり前」と思うことを『本気』で続けましょうよ。

ボクは、特別な人でもない普通の人です。

それはあなたも同じなんだと思います。  

だからこそ、お互いあたり前のことをやり続ける意識が、特別に『本気』であればイイのです。 

   

 

大男のボクは、最近どういうわけか男性によく泣かれたりします。。。

 

でも…「本気の実践力」を背中で語っている人とは、必ずどこか通じ合うものがありますね…。

そういう人は、しっかりとしたご自身の姿勢という「無形資産」によって、人格形成されていったりします。

 

ボクらは、そういう「資産形成」をとても大切にしたいんですね。

 

2016年3月24日

 

  



Backstage,Inc.

カワイ ヨシノリ